実家から届いた桃に映る季節
先日、実家から箱いっぱいの桃が届きました。
厳しい夏をくぐり抜けてきたせいでしょうか、箱を開けた途端に甘やかな香りがふんわりと広がり、鮮やかに色づいた果実はほどよく熟し、まさに食べごろを迎えていました。
いつもなら数日おいて食べごろを待つのですが、今年は届いたその瞬間から「もう今が一番おいしいですよ」と桃に語りかけられているようでした。
桃はお尻(ヘタ)のほうから少しずつ柔らかくなっていくので、手のひらでやさしく包み込むと、その熟れ具合が自然と伝わってきます。指先に感じるやわらかな弾力に、思わず「今がちょうどいい」と確かめるように頷きながら、すぐにナイフを手に取りたくなってしまいました。
そうして手に取ったのは、愛用している一本のペティナイフです。
桃を切るのにふさわしいナイフ
手にしたのは、福井県越前市の伝統工芸士・戸谷祐次さんが手がけたペティナイフ「癶(HATSU)」。
桃の真ん中にそっと刃を入れると、ためらうことなくすっと吸い込まれるように切れ、台所にみずみずしい香りが広がりました。
よく熟れた桃の皮も、果肉を崩すことなく驚くほどきれいにむけていきます。
無駄な力を入れずに刃が通るので、やわらかな果肉を傷つけず、美しく仕上げることができました。
繊細な果物だからこそ、安心して任せられる一本です。
刃を入れるたびに、果肉が自然に受け入れてくれるような感覚があり、その軽やかさに思わず息をのむほど。
その感覚の余韻が、かつて工房で目にした職人の姿を静かに呼び起こしていきます。
思い出す、職人の技
先日訪れた福井県越前市の『タケフナイフビレッジ』でのひととき。
とりわけ印象深かったのが、研磨の工程でした。
大きな砥石の上を、職人の手が静かに刃を滑らせるたび、摩擦音が工房に響きます。その一往復ごとに刃先が少しずつ冴えわたっていくのがわかり、張りつめた空気と無駄のない所作の美しさに、ただ見入るばかりでした。
あの光景を胸に浮かべると、一本の包丁に込められた時間と技の重みが、いま手元で感じる切れ味とひとつにつながっていきます。
桃を切る軽やかな感覚の奥に、あの日目にした研磨の静かな風景が重なり、果物の一切れさえ特別なものに思えるのです。
その余韻を抱えながら、ふたたび台所の手元に視線を戻しました。
季節を味わうひと皿
記憶の余韻をまとったまま、静かに台所で桃を仕立てていきました。
仕立てたひと皿は「桃と生ハムのブラータ」。
完熟の桃のやさしい甘みと、ほどよい塩気を帯びた生ハム、まろやかなブラータチーズが重なり合い、そこにディルを添えると一気に華やぎます。
うつわはマレのブルーに決めました。
桃や生ハムの淡いピンク色がぐっと大人っぽく映え、贅沢な一皿のできあがり。
器を選ぶひとときさえ、料理の一部のようで心が弾みます。
そして、いよいよいただきます。
ひと口ごとに桃を主役にしたり、生ハムを多めにしたり、チーズをたっぷり添えたり。
そのバランスを変えるたびに、新しい表情の美味しさが広がります。
甘みと塩気、まろやかさの重なりは、季節の恵みを一層豊かに感じさせてくれるものでした。
旬の果物はそれだけで十分にごちそうですが、器や組み合わせを楽しむことで、日々の食卓はさらに豊かな時間へと変わります。
みなさんも、この季節ならではの味覚を、自分らしいひと皿で楽しんでみてくださいね。