つい、迎え入れてしまうもの
街を歩いているとき、ふと視線が止まることがあります。
それは決して大きなものではなく、静かに佇む小さな家具。
日々のなかにも、あちらこちらにインテリアのヒントが散りばめられています。
なかでも心が引き寄せられるのは、ご飯屋さんのしつらえです。
限られた空間のなかに、店主のこだわりが丁寧に詰め込まれていて、小さな家具の使い方にも、さりげない工夫が感じられます。
店内の隅々まで視線を巡らせる時間は、わたしにとって、この上ない楽しみのひとつです。
どこかで見かけた一脚の椅子が、ふと記憶に残り続けることがあります。
人の手に選ばれ、使われてきた痕跡が、そのまま景色の一部になっているからかもしれません。
とりわけ、椅子やスツールには、どこか抗えない引力があるようで、気づけばまた一つ、家に迎え入れてしまいます。
大きな家具は簡単には買い替えられないけれど、小さな家具は暮らしのすきまにすっと入り込み、空間の空気をやわらかく変えてくれる存在です。
用途を決めすぎないということ
椅子は、座るためのもの。
そう言い切ってしまうには、少し惜しい存在です。
ヨーロッパの古い暮らしの中では、椅子は“可動する家具”として、部屋から部屋へと持ち運ばれ、その時々の用途に応じて使われてきたといいます。
固定されないからこそ、空間にささやかな変化をもたらす存在だったのでしょう。
玄関に置いたスツールに腰をかけて靴を履く朝。
帰宅して、バッグをそっと預ける場所としての一脚。
窓辺では、光を受け止める台のように、季節の花の美しさを引き出します。
ときにはサイドテーブルのようにもなり、その時々の暮らしに寄り添いながら、自然と役割を変えていきます。
決めすぎないこと。余白を残すこと。
その曖昧さこそが、小さな家具の魅力のように思います。
水屋箪笥という軸
家の中で、自然と視線が戻る場所があります。
それが、わたしにとっての水屋箪笥です。
水屋箪笥はもともと、食器や調理道具を収めるための収納家具として、日本の暮らしの中で使われてきました。
地域によって素材やつくりが異なり、その土地の気候や文化が反映されているのも興味深いところです。
木そのものの色味を活かした佇まいだったものを、「Wormhole Furniture」の牛丸さんに黒く塗装していただきました。
モルタルの空間に黒の家具が加わることで、空気がすっと引き締まり、空間に輪郭が生まれます。
うつわは気づけば少しずつ増えていき、かたちも素材もさまざま。
だからこそ、それらを分け隔てなく受け止めてくれる、ギャラリーのような棚が欲しかったのです。
この水屋箪笥に出会えたとき、探していたものにようやく触れられたような、確かな喜びがありました。
なかなか巡り合えないサイズと佇まいに、どこか縁のようなものを感じたのを覚えています。
出会うまで待つという選択
神楽坂に越してくる前は、とりあえずの家具で暮らしていた時期もありました。
けれど今は、「出会うまで待つ」という選び方に変わっています。
編集の仕事をしていると、「選ぶ」という行為の積み重ねで一冊ができていくことを実感します。何を残して、何を手放すのか。その基準は、ほんのわずかな違和感や確信だったりします。
すぐに手に入る安心よりも、時間をかけて見つける納得を。
限られた空間だからこそ、長く寄り添えるものだけを選んでいきたいと思うようになりました。
少しずつ揃っていく家具たちは、暮らしの景色を整えると同時に、自分自身の感覚も整えてくれるように感じています。
整う理由
不思議なことに、お気に入りのものが増えていくほど、家の中はすっきりと整っていきました。
大切に思えるものがあると、自然とその場所を整えたくなる。
片付けようと意識するよりも前に、触れる手つきや置き方が変わっていくように思います。
きっとそれは、“好き”に囲まれているから。
今日もまた、椅子に腰かけながら、光の入り方や影の落ち方を眺めています。
お気に入りの家具たちは、暮らしのなかに余白をつくりながら、そこに在り続けています。
そんな余白を、これからも重ねていけたらと思います。

