九十九里の風が届く工房へ
わが家の食卓で、いつもお茶の時間をあたたかく灯してくれる、日ノ出ガラスポット。
暮らしにそっと寄り添い、慌ただしい日も、少し気持ちが揺らぐ日も、このまあるい透明な佇まいを眺めているだけで、不思議と心が凪いでいきます。
このポットは、一体どんな場所で、どのように生まれているのだろう。
そんな好奇心に背中を押されて、私は千葉県東金市にある日ノ出化学製作所の工房を訪ねました。
少し前まで東京に工房を構えられていた瀧澤さん。
千葉へ移転されてから、伺うのは今回が初めてです。
約二年ぶりとなる再会でしたが、以前と変わらず温かく迎えてくださり、緊張していた気持ちがすっとほどけていきました。
一歩足を踏み入れた工房には、たくさんの道具が立ち並んでいます。
「あの美しいガラスポットは、ここから生まれているんだ」
そう思うと、胸の奥が温かくなります。
年季の入った道具と、炎の記憶
今ではほぼガラスポットのみを制作されている瀧澤さんですが、かつては本当にさまざまなものを手がけていたそうです。
理化学用の試験管。
美容エステで使われるガラス管。
キャラクターもの。
さらには、結婚式の演出用ガラスまで。
実際に当時の作品を見せていただきながらお話を伺うと、その細かな手仕事はまるで飴細工のように繊細で、その美しさに思わず見入ってしまいました。
「昔はいろいろ作ってたんだよ」
そう話す横顔には、どこか懐かしさと、長年ものづくりに向き合ってきた誇りが滲んでいます。
熱く語るその背後にどっしりと佇んでいるのは、50年近く使い続けているという大きな電気炉。
もともとはガス炉だったものを、時代に合わせて電気炉へと変えながら、大切に使い続けてきたのだそうです。
瀧澤さんと長い年月を共にしてきたものは、それだけではありません。
作業台に無造作に並ぶ、焦げ跡のついたコテや煤(すす)で黒ずんだハサミやピンセット。
まるで職人の手の延長のような、それらの佇まいを眺めていると、効率や新しさだけでは測れない、ものづくりの時間がゆっくりと流れているようでした。
火とガラスが形になる瞬間
ひとしきりお話をしたあと、瀧澤さんがすっとガラス管を手に取り、バーナーに火を灯しました。
「ゴーッ」という力強い音が工房いっぱいに響き、先ほどまでの穏やかな空気が一変します。
真剣な眼差しでガラスと向き合う瀧澤さんの横顔に、こちらも自然と背筋が伸びるようでした。
酸素の量を巧みに操りながら、炎は細長く鋭く伸びたり、ふわっと大きく広がったりと、自在に表情を変えていきます。
絶えずガラス管を回し、炎の当て方や息の入れ方を細かく変えながら、硬かったガラスをなめらかに成形していく。
その迷いのない手つきに、ただただ惹きつけられます。
はじめは何が生まれるのかわからなかったガラスは、みるみるうちにふっくらと膨らみ、どこか見覚えのある姿に。
そこに現れたのは、日ノ出ガラスポット。
しかも、手のひらにちょこんと収まるほど小さなミニチュアサイズです。
その愛らしさに、思わず「わぁ…可愛い」と声が漏れてしまいました。
機械では決して生まれない、わずかな揺らぎや柔らかさ。
そこには瀧澤さんの手の温度までもが残っているようです。
「やかん」という、普遍の美しさ
このガラスポットの形の歴史について尋ねると、瀧澤さんは教えてくれました。
「これはね、“やかん”なんだよ。結局、この形がいいんだ」
ガラスポットを作り始めてから、約30年。
一貫して「やかん」をイメージしたという基本の形は、今もほとんど変わっていません。
ただ、当初はこのミニチュアのように、持ち手までガラス製だったものを、「より永く、安心して使えるように」とハンドルを別付けする仕様に変えるなど、少しずつ微調整を重ねて今の姿に行き着いたのだそうです。
装飾のないシンプルな佇まいはどんな食卓にもすんなりと馴染み、時代や流行に左右されることがありません。
何年経っても古びない理由は、この普遍的な形にあるのだと感じます。
使用するガラスについても、これまでに色々な種類を試し、とにかく割れづらい成分のものを選び抜いてきたといいます。
もともと理化学器具を手がけてきた日ノ出化学製作所だからこそ、“丈夫であること”は、美しさと同じくらい大切な要素。
美しさのなかに、気兼ねなく使い続けられる確かな安心感があるからこそ、このガラスポットは長く愛され続けているのだなと、深く腑に落ちました。
またお会いできる日まで
別れ際、「すぐ近くに海岸があるから行ってみなよ」と、瀧澤さんが教えてくれました。
工房をあとにし、教えていただいた海岸を少し散歩することに。
穏やかな波を眺めていると、この土地には時間がゆっくり流れているのか、海も、人も、どこか大らかに感じられます。
空気の澄んだこの場所で、これからもあのガラスポットが、ひとつひとつ丁寧に作られていくのだな。
そんなことを、心地よい潮風に吹かれながら思いました。
旅を終えてからも、瀧澤さんの鮮やかな手つきや、バーナーの音がしばらく頭から離れません。
あの実直なものづくりの風景を知ったことで、わが家のガラスポットが以前よりもっと愛おしく思えるようになりました。
瀧澤さん、あたたかく迎え入れてくださって、本当にありがとうございました。
またお会いできる日を、楽しみにしています。

