私の憧れの人
以前、お仕事の取材を通じて出会った、料理家の冷水希三子さん。
生み出す料理、うつわの選び方、そしてスタイリング。
そのどれもが素晴らしく、しずるような世界観に引き込まれ、今ではすっかり私の憧れの存在です。
しっとりとした佇まいの中にある揺るがない芯に触れるたびに、私もそうありたいと思わせてくれます。
そんな冷水さんに久々に連絡をしたのは、新しく迎えたボウルを使いはじめてしばらく経った頃のことでした。
こちらが、ナカマイリしたボウル「clay(クレイ)」。
これまで深さのあるうつわをほとんど持っておらず、「こんな形があったらいいのに」という思いをきっかけに、作山窯さんと一緒に形にしたこうつわです。
外側に残した再生土の表情が印象的で、すっと手になじむフォルムもなんともかわいらしいのです。
けれど、いざ自分で使ってみるとどうしても用途が似通ってしまい、お鍋の取皿やスープ、どんぶりが定番に。 特に大きなサイズは盛り付けに迷うことが多く、ふたり暮らしには少し大きいようにも感じて、出番が減っていました。
「clay」には、きっともっと別の表情があるはず…。
そう思いながらも、なかなか答えを見つけることができません。
そんなとき、ふと冷水さんのことが頭に浮かびました。
思い切ってその悩みをメールで相談してみると、ほどなくして返信が。
「では、よければうちで使ってみましょうか。」
ご自宅に招いていただけるなんて、思いもしなかった展開です。
そして約束の日。
冷水さんの家に着き、インターホンを目の前に深い息をひとつ。いよいよです。
憧れの台所
家にあがったときの感動は、今でも鮮明に覚えています。
誌面で何度も見てきたあの世界が、そのまま目の前に広がっているのです。
なかでも目を奪われたのが台所。
数えきれないほどの調味料や料理道具が棚いっぱいに並んでいるのに、雑然とした印象がまったくありません。どれもが“ここが私の居場所だよ”という表情で、ぴたりと収まっているからでしょう。
視線を移すと、書斎やダイニングの横にある棚にはいくつものうつわが重なり合っています。どこもそれぞれ個性的なのに、ひとつの風景のようにまとまっていて、思わず見入ってしまう美しさでした。
ひとしきり部屋を見せていただいたあと、荷物を置き、台所にうつわをそっと並べました。
すると冷水さんはひとつを手に取り、外側を指先でゆっくりとなでます。
「外側の土の表情がいいね。内側の釉薬もきれい。黒も強すぎなくて、料理が映えそう。」
こだわった部分をさっそく褒めてもらい、うれしくなりました。再生土の風合いを生かすため、外側には釉薬をかけずに土の質感を残し、内側の色味も何度も調整してきたのです。
続いて、口縁に指を添えながら、角度を変えて眺めていきます。
「これ、手で仕上げてる? 上から見るのと横から見るのとで、ちょっと表情が違って可愛いね。」
丸く成形したあと、職人さんがひとつずつ手を加えて仕上げるこのうつわ。
上から見ると、ほんのりと三角に見えるその輪郭が愛らしく、私も特に気に入っているところです。
冷水さんは、まるでうつわと会話しているかのように、その子のチャームポイントを次々と見つけてくれます。
しばらくうつわを眺めたあと、こう言いました。
「今日はね、この子たちでふたつシーンを作ろうと思うよ。季節的に鍋は外せないよね。もうひとつは洋食かな。」
こんな機会はきっと二度とないと思い、お言葉に甘えることにしました。
冬色の洋皿を愉しむ
「じゃあ、洋のシーンからいきましょうか。」
そのひと言を合図に、キッチンが動きはじめました。
洋食に選ばれたのは、4つ。
うつわが並ぶと、冷水さんは迷いのない手つきで食材の準備をはじめます。
どんな手順で、どんなふうに盛りつけていくのかをすべて目に焼き付けたいと思っていたのに、あまりの軽やかさに視線が追いつきません。
フリカッセ
一皿目は、冷水さんが仕込んでおいてくれたフリカッセ。
「冬の洋には、これだよね。」
鍋を温めながらさらりと言うその声が、なんとも頼もしい。
ボウルの相談をしたとき、すぐにフリカッセが頭に浮かんだのだそうです。
仕上げに生クリームを少し加えると、湯気とともにやさしい香りがふわり。
寒い日に食べたくなるあの“やさしくあたたまる感じ”が、キッチンいっぱいに広がっていきます。
盛りつけに選ばれたのは、白の大きいサイズ。
私が一番使い方に悩んでいたサイズですが、冷水さんの手にかかると、余白を自然に生みながらさらりと一皿が立ち上がっていきます。
家族や友人が集まる大人数の食卓向きなのかな、と思っていましたが、その固定観念はあっけなく崩れ去りました。
白い器に、白い料理。
同系色でまとめることで、上品な冬の表情が生まれます。
最後にローリエの房を添えて完成です。
ビーツとマグロのサラダ
ビーツとマグロのサラダは、黒釉の中サイズにたっぷりと。いちごやトレビスも加えて、ビネガーやピスタチオで味付けし、品のある一皿があっという間に出来上がりました。
深いルビー色の食材たちが集まり、なんとも美しい。黒の釉薬が赤一色の世界を引き立てます。
「赤でまとめると、大人っぽくなるよね。」
と、冷水さん。
白×白のフリカッセと同じく、同系色でまとめることで存在感が際立っているように思いました。
スズキのフリット
三品目は、身の締まった旬のスズキでつくるフリット。
「揚げ物はね、こめ油がいちばん軽く仕上がるのよ。あとは、炭酸水ね。」
そう言いながら、強力粉と炭酸水で衣をさっと合わせていきます。混ぜすぎず、気泡をつぶさず。絶妙な塩梅です。
油に落とした瞬間、シュワシュワと細かな気泡が生まれて、衣がふわりとふくらみます。揚げ物とは思えないほど軽やかで、鍋の中の気泡に光が反射し、キラキラと見えます。
盛りつけは、黒と白の小さいサイズに少しずつ。手作りのマヨネーズをしき、その上に揚げたてのスズキをのせて、仕上げに大根とフェンネルのピクルスを添えれば完成です。
乾杯のとき
お料理がそろい、さっそくいただきます。
この日は曇り空で少し薄暗かったのですが、上品な料理とうつわたちが、むしろその影を味方にして、しっとり落ち着いた雰囲気をつくり出します。
「せっかくだし、ワインも飲もうよ」
そう言って注いでくれたオレンジワインは、 薄く光を透かして揺れるその様子がとてもきれいでした。


私はと言えば、興奮のあまり、ひと皿できるたびに写真を撮る手が止まりません。
すると冷水さんが笑って、「じゃあ、私も撮ろうかな」とスマートフォンを取り出し、二人で夢中でシャッターを切りました。
大人の鍋を愉しむ
「じゃあ、そろそろ鍋にしましょうか」
いつの間にか台所には土鍋が用意されていました。
昆布出汁にバイマックルとレモングラスを浮かべ、日本酒をひと筋。
鍋にハーブを合わせるのは初めてで、今からわくわくが止まりません。
まずは食材の準備から。ここでさっそく「clay」の登場です。
はまぐり、鶏団子、クレソン。
それぞれの食材に合ったサイズに、テンポよく収められていきます。クレソンのように広がりやすい葉物も、大きめのボウルがしっかりと受け止めていて、「こういう使い方があるんだ」と思わず見入ってしまいました。
テーブルの支度も整いました。
具材の組み合わせも新鮮で、いったいどんな鍋になるのだろうと期待がふくらみます。

「まずは、はまぐりからね。」
大きなはまぐりをそっと出汁に沈めてしばらく待つと、殻がゆっくりと開きはじめます。
ぱかっと口を開いたその瞬間こそ、まさに食べ頃。そのタイミングを逃すまいと、しばしはまぐりと見つめ合います。
殻が開いたばかりのはまぐりを大きくひと口でいただくと、じゅわっとハーブを含んだ澄んだ出汁が口いっぱいに広がり、身は驚くほどやわらかい。なんとも贅沢な味わいでした。
続いては、鶏団子。
すりおろした山芋が混ぜ込まれているそうで、鍋に落とすとふわりと浮かび上がるように火が通ります。
ここにほんの少し添えるのが、冷水さんお手製の“3年もの”の発酵唐辛子。
塩を混ぜ込み熟成させた唐辛子は、辛さが控えめで、旨味がきゅっと際立ちます。

そしてクライマックスは、たっぷりのクレソン。
添え野菜の印象が強かったクレソンも、今日は主役級の存在感です。
出汁にくぐらせると、昆布・ハーブ・はまぐり・鶏団子の旨味をすべて吸い込み、いくらでも食べられるほど瑞々しくて美味しい。
この鍋の名前を尋ねてみると、
「はまぐりと団子とクレソンのハーブ鍋!」
と、冷水さんがにこっと即答。なんとも粋なネーミングです。

気づけばあっという間に鍋は空に。
冷水さんは静かに席を立ち、締めのうどんを用意してくれました。
氷見うどんのような、つるりと喉をすべる細い麺は上品なお出汁とよく合い、最後の一杯まで完璧でした。
私の中では、鍋といえば寄せ鍋のように一度に煮込む印象が強かったのですが、ひとつずつ順番に味わうことで、こんなにも豊かな表情が生まれるのだと驚かされました。
冷水さんと話した、「clay」のこれから
食後のゆったりとしたひととき。
冷水さん手作りのロールケーキをいただきながら、 「clay」の話は続きます。
「中華もいいよね。この大きいのは水餃子だね。
白の小さいのは茶碗蒸しにもきっと合うと思う。春巻きを立てて入れてもいいんじゃない。」
次々とアイデアが湧いてくる冷水さんは、やっぱりプロだなと改めて感じました。
同じうつわなのに、少し視点が変わるだけで、こんなにも景色が変わる。そんなことを教えてもらった一日でした。
冷水さん、今日は素敵な時間をどうもありがとうございました。
またお会いできる日を楽しみにしています。

